yamatya’s blog

お笑い/イベント/ビジネス本を中心に30歳サラリーマンが気の赴くままに書いています.

「母ちゃんと父ちゃんに感謝したい。」 M-1優勝コメントに隠された霜降り明星粗品の家族への熱い思い

 「母ちゃんと父ちゃんに感謝したいです。」


平成最後のM-1グランプリを制覇した霜降り明星
ツッコミの粗品は、チャンピオンになった今の気持ちをこう表現しました。これはよくある両親への感謝の気持ちに聞こえるかもしれません。

ですが、この言葉の裏にはあまり語られていない粗品の家族への熱い思い大きなドラマが隠されているのでした。



実は父親を亡くしている粗品

実は粗品は、芸人を始める前に父親を亡くしています。
このことについて、同期のピン芸人ZAZYがYOUTUBE内で語っています。

「(粗品は)芸人始める前にお父さんがお亡くなりになっているんですよ。お父さんが焼き肉屋をやってたんですけど、お母さんが引き継いで頑張るみたいな。粗品は一人っ子で親に迷惑かけてるみたいな感じで芸人を続けてた。凄い大変な状況で芸人で売れたい売れたい言っていて、でM1優勝(したんです)」

父親が亡くなった後を引き継ぎ、一人で大阪で焼き肉屋を営む母親。
故にひとりっ子でもある粗品は売れて母親を楽にさせてあげたいという気持ちが人一倍強かったのでしょう。

R25のインタビューでも粗品は『僕らは20歳で伝説な大スターになるつもりだったんです』と語っています。

r25.jp



ピン芸人の道をあえて選ばなかった粗品

粗品はハイスクール漫才2009で決勝進出、R1グランプリ2011準決勝進出など、アマチュアながら頭角を現します。
その後大学へ進学。吉本のオーディション合格を機に悩んだ結果、大学を中退しプロの芸人の道を志します。

そして2012年、関西では知らない人がいないほど有名な年末のオールザッツ漫才2012で史上最年少優勝を果たします。ピン芸人として最高の舞台での優勝後、粗品まさかのコメントを残します。

「今未成年なんでパジャマ来て一人でやってるんですけど、成人したらスーツ着て漫才がしたいんです。スーツ着て漫才するために(お笑いの道に入ったんです)」


ピン芸人として「天才」とまで評価された中、コンビを組み、漫才をすることを選択したのです。
ピン芸人であればいち早く売れて母親を楽にすることができるはず。

そんな道を蹴り、自分のやりたいこと=漫才を通し、結果的に自ら売れることを遠ざけてしまったのです。
この選択に周りの芸人からはピンでやった方がいいという言葉を言われ続けることとなります。


そんな声がある中、粗品が相方に選んだのが、当時大学生だったせいやなのです。


泣かず飛ばずの日々~ABCお笑いグランプリ2017優勝
コンビとして売れるためにせいやとコンビを組んだ粗品。しかし現実は厳しく大阪で売れない日々を過ごします。結果が出ず、ピンでやったほうがいいという声が強くなっていく日々。

同い年が大学を卒業して就職するタイミングに「俺らはなにやってんのやろ」と芸人を本気でやめようという時期もあったそうです。
就職していく同い年と、いつまでも売れない自分達。

しかし、そんな中、関西若手お笑いの登竜門ABCお笑いグランプリ2017」で見事優勝を果たします。
この時の優勝賞金100万円の使い道を聞かれた粗品は号泣しながらこう答えます。

「お母ちゃんに使いたい。大学も中退して迷惑かけたんで親孝行したいなと。まずは温泉旅行に連れていきたいのと、マッサージチェアのような家電とかiPadを買ってあげたい」


やっと自分のやりたいことで一つの結果を出した粗品
売れて母親を楽にさせるという夢への一歩がスタートしたようなコメントでした。



そしてM1グランプリ2018優勝
そしてM1グランプリ2018優勝。
名実ともに全国の漫才師の頂点に立った瞬間、粗品からはあのコメントが口を出たのです。

「母ちゃんと父ちゃんに感謝したいです。」

一人で自分を支えてくれた母親、そして自分を生み育ててくれた今は亡き父親への感謝の思い。

優勝後、優勝賞金1000万円の使い道を聞かれた粗品は、ぶれずにまたこう答えます。

「お母ちゃんが欲しがってた物を10個買いたい」

自分達の漫才を信じ、日本一の漫才師という称号を手に入れた彼ら。

これからますます売れて家族へ恩返ししていく彼らの活躍がこれからも楽しみです。